ミャンマー・ライレンピーコーヒープロジェクト

ミャンマー・ライレンピーコーヒープロジェクト

水のこと

ナトゥラマー!(マラ族の言葉で「お元気ですか?」) 柴田です。

 

ライレンピー町の水のことについてお話しします。

ライレンピー町には給水施設があります。町から約6㎞離れた(とはいえ、直線距離で6㎞というだけで、そこにたどり着くまでの道のりはとても大変)水源から水を引いてきています。

でも、各戸までは水が届いていません。町の人たちは町に数か所ある水道栓まで水汲みに行きます。黄色いポリタンクを持って水道栓に並びます。

そして、そこに水が来るのは1日に2時間だけだそうです。順番を待つため、汲んだ水を運ぶための時間を考えるとほぼ半日、水汲みに費やさなければなりません。

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水道栓に並んでいる様子

そして、とても重いので重労働・・・。運ぶためにこんな道具を手作りする人も。

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ポリ容器を運ぶための車。手作りです。

このポリ容器2つに水を汲むために、半日。

日本では考えられないことだと思います。現地の皆さんは本当に大変な生活を送っています。現在、当会では家まで水が来るように給水施設の整備を行っていますが、現在の状況により、なかなか事業も思うようには進みません。

 

2月初めに起こったクーデター。

誰のために、そして何のために私たちは活動をしているのか、改めて考える機会になりました。

現地の情勢につきまして

いつもチン州ライレンピーでのコーヒープロジェクトを応援していただき、ありがとうございます。

2月1日の国軍によるクーデター後、現地では不安定な情勢が続いています。地球市民の会ライレンピースタッフ6名は全員無事です。ライレンピーでは大きなデモも起きておりません。スタッフたちは毎日出勤し、コーヒーをはじめ、栽培しているたくさんの作物のお世話に忙しいと報告を受けています。

先日収穫したコーヒーの加工もしっかりと続けてくれています。豆はすべてウォッシュド(水洗式)加工をしています。加工が完了したら、いよいよ日本に向けて輸出準備に入ります。今後の情勢がどうなるのか全く予測できませんが、なんとか皆さまの元にお届けできるよう、引き続き頑張っていきたいと思います。

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焼畑のこと再び

ナトゥラマー!(マラ族の言葉でお元気ですか?)

柴田です。

 

以前も焼畑について書いたことがありますが、再び焼畑のことを書きたいと思います。

以前の記事はこちら↓

myanmar-coffee.hatenablog.com

ミャンマーではチン州だけではなく、多くの場所で焼畑農業が行われています。

地球市民の会が2003年から事業を実施をしてきたシャン州でも、焼畑農業は行われています。シャン州のスタッフの1人は「3月頃にいつも霞がかかっているのは、焼畑のために燃やした煙が原因」と言っていました。3月と言えば乾季真っ最中です。乾季は通常空気が澄み、真っ青な空を見ることができるのですが、確かになぜか2月までとは打って変わってモヤッと霞んでいることが多いんです。この話の真相はわかりませんが、この言葉からも焼畑が大規模なものだということがお分かりいただけるかと思います。

ただ、シャン州の方は地域で焼畑を禁止している場所もあり、どこに行っても見られるという感じではありません。一方チン州は、多くの場所(私が行った限りのチン州のお話と思ってお読みください)で焼畑が見られます。その規模やすごい。

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移動中に車の中から見た焼く前の畑の様子

この写真は、畑を焼く前に木を切って準備をした後の畑です。ここに火をつけて畑を焼きます。写真の真ん中に一直線に伸びているのが道路です。道路と比較してもらうと規模がわかるかと思います。

そして、ここでの農作業はとても重労働です。ライレンピーで農具を見せてもらったことがありますが、これは鍬。急斜面での作業が想像できるものです。

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この角度と短さが急斜面用

そして採れた作物はこのように運びます。(後ろにかごがついています)この斜面を!私には無理・・・

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後ろにかごがついていて、かごに作物を入れて運びます。

焼畑農業は、環境保全の視点から減らした方がいいと語られがちですが(以前、私も語った・・)、そこで働く人たちにとってもとても重労働です。
彼らに話を聞くと、「本当に大変。でもこれ以外にどうしていいかわからないし、こうして生きてきた。何か違う方法で生活できたら?もちろんうれしいよ」と言っていました。

もちろんコーヒー1つの作物が彼らの生活を楽にしたり、環境保全の手段になるスーパー作物だとは思っていませんが、コーヒー栽培が少しでも解決の糸口になるといいなと思っています。

初めての加工が始まりました

遅ればせながら、2021年もライレンピーコーヒーの応援をよろしくお願いします🎍

今年ついに、ライレンピーコーヒーが日本にやってきます。今月上旬から収穫が始まりました。遠くの町から果肉除去機を運んできて、ライレンピーセンターに設置しました。

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今年の加工はすべて「ウォッシュド(水洗式)」で行います。地球市民の会スタッフたちは、これまで加工方法について何度も学んだので十分な知識は持っていますが、実際に機械を使って加工するのは初めてです。

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収穫前にコーヒー農家を訪問し、収穫方法の指導を行いました。十分に熟していないチェリーを収穫しないよう、何度も繰り返しお願いしました。農家さんは指導通りに収穫してくれて、とても綺麗なワインレッド色のチェリーがセンターに届けられています。

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加工が終わったら、船で日本に輸出します。日本に届くのは4~5か月先ですが、今から楽しみです。ライレンピーではしばらくバタバタと忙しい日が続きそうです!

マラ福音教会(Mara Evangelical Church:MEC)のこと

ナトゥラマー!(マラ族の言葉で、お元気ですか?)柴田です。

今日はマラ福音教会(Mara Evangelical Church:MEC)のことについて書きたいと思います。

私たちが最初にライレンピーに行ったのは、2017年3月。その時からMECの皆さんには本当にお世話になっています。皆さんとても明るく楽しい方々で、集まるといつも笑い声が聞こえます。

前に書いた、ライレンピーで事業を始めるきっかけとなった熱い男’’ウ・ザベッタン’’もMECのスタッフです。ウ・ザベッタンの記事はこちら↓

myanmar-coffee.hatenablog.com

MECは、その名の通り教会組織です。ですが、宗教関係のことだけをやっているかというとそうではありません。

宗教、教育、開発、金融、社会問題、牧師の6つの部署に分かれていて、地域発展のためにいろいろと活動をされています。というのも、ライレンピーはほんの数年前まで外部とつながる車道がなく、行政の手が届きませんでした。そのため、普通の場所なら行政が行うことも、教会組織がリーダーシップをとってやってきたそうです。

地域の人たちにとってMECはまさになくてはならない組織だということをいろいろな方から聞きました。

MECは1907年にローレン牧師ご夫妻によって設立されたそうです。その時の記念碑がMECの事務所の前に建てられています。

下の写真はMECと地球市民の会主催で実施したコーヒー研修の時の記念写真です。研修時にずっと掲げられていた横断幕にはMEC「Service and Development Department」という文字が書かれています。

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みんなの後ろに写っている水色のやつがMECの石碑

 では、ここでMECの皆さんをご紹介します。

皆さん、個性派の牧師さんです。

まずは事務局長さん。お名前はL.B Siamaさんです。MECはライレンピーとサバウンピーという町の両方に本部があるそうです。事務局長はその2つの本部を行ったり来たりせねばなりません。いつもバイクで2つの本部や世界各地を行き来しているお忙しい方です。でも、その合間にコーヒー研修の実習を見に来てくれたり、お話をしに来てくれたりと協力をしてくれます。下の写真の左から4番目の黒い上着の方がそうです。

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建設途中のMEC事務所の前で。今は建設も終了し、立派な建物になりました。

次は副事務局長、牧師担当、開発担当を兼務されているVictor Veuさんです。お話し好き(基本的に皆さんお話し好き)で、いろいろなことを教えてくれます。子供も大好きで、私が息子を連れて行った時には銃の撃ち方、森での遊び方などを教えてくれました。はちゃめちゃな牧師さんですが、礼拝の時にはびしっとしてました。(当たり前か)

ちなみに下の写真で息子が頭につけているのは鷲の羽だそうです。マラの人たちの間では頭にこの羽をつけることで「鷲のような勇気を授かる」と信じられているそうで、ちょうど羽を拾った息子もつけてもらいました。この羽は今でも大切に持っています。

 

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息子と一緒に森遊び中。

最後に教育担当のSitlo Chozahさん。Sitloさんは自分の名前が「シ」から始まり、柴田の「シ」と一緒なので、われらは親戚だ!と言っていましたが、シから始まる名前は日本にめっちゃある・・・

彼は1枚目の前列真ん中の青い上着を着ていらっしゃる方です。

教育担当だけあって、とても研修活動に熱心な方で、コーヒー研修の時には自らが参加者として受講されていました。

 

全員は紹介しきれませんでしたが、こんなMECの皆さんに支えられながら、コーヒープロジェクトが進んでいます。

 

美味なキョン肉

ナトゥラマー!(マラ族の言葉で、お元気ですか?)神崎です。

キョンという動物をご存知ですか?シカ科に属していて、毛の色もシカと同じような茶褐色。クリクリとした、丸い黒目が可愛い!!犬のような声で鳴くらしいのですが、私はまだ聞いたことがありません。

 

チン州の人々は、昔から森で猟をしてきました。キョンも獲物の一つです。現地の言葉で「ジー」と呼びます。昔はたくさん生息していたようですが、近年は森林が減少しているためキョンの頭数も減っていて、貴重な獲物となっています。

つい2週間ほど前、地球市民の会スタッフがライレンピーのとある家庭を訪問した時のこと。男の子2人が大事に抱えていたのは、かわいい人形・・・ではなく、つい先ほど切断されたばかりのキョンの頭部!!

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ためらいもなく、まだ生暖かいであろうキョンの頭部を抱っこできるなんて。物心ついた時からこういう生活環境にあった証ですね。服に血が付いてるよ・・・

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チン州では、キョン肉を油で炒めて、塩やターメリックなどのシンプルな味付けで食べます。これだけでご飯何杯も食べられるほど美味しい!

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ミャンマーの田舎に行くと、様々な動物を屠殺する場面に出会います。日本の都会で生まれ育った私にとっては残酷なシーンである反面、すべての食べ物はもともと命があったもので、それを頂けることに感謝しなければならないと感じる瞬間でもあります。食べ物を粗末にして大量の食品ロスを出している先進国の人々には、改めて学んでもらいたいですね。

 

ところで、キョンは日本にもたくさん生息しています。最初は動物園で飼われていましたが、逃げ出して野生化し、現在は数万頭にも増えているそうです。キョンによる農業被害が各地で起きていて、日本では迷惑な“外来種”となってしまっています。脱走しないようにきちんと管理していなかった飼い主が悪いのに、野生化して増えてしまった動物たちが悪者扱いされるなんて腹立たしい!!

最近はジビエブームということで、キョン肉を提供するお店も増えているようです。

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皆さんもぜひ食べてみてください♪

インド国境が近い

ナトゥラマー!(マラ族の言葉で、お元気ですか?)柴田です。

 

私たちがコーヒープロジェクトを実施しているライレンピー町は、インド国境まで60kmという場所にあります。

ライレンピーの場所の記事はこちら↓

myanmar-coffee.hatenablog.com

ライレンピーにはTPAのプロジェクトで、循環型農業普及の拠点として建設した「持続開発研修センター」というセンターがあります。

そのセンターから見える景色がこちら。

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センターからの景色

 

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夕日はインドの方に沈む

そしてむこうの方に見えている山はもうインドだよ、と教えてもらいました。

地方の人たちは、ビルマ族が多く住む地域を「バマーピー(ビルマ国)」と呼びます。チン州の人たちは「アウピー((山の)下の国)」と呼ぶ人もいます。
それを考えると、「バマーピー」や「アウピー」よりもインドの方が圧倒的に近い!という印象・・・

実際、マラ民族は国境を越えたインド側にもたくさん住んでいるそうです。国境も、マラ民族であれば問題なく行き来ができるそうです。インド側のマラ民族とミャンマー側のマラ民族が結婚しているご夫婦にも出会ったことがあります。

そんな状況なので、ミャンマーの町まで買い物に行くよりも、インドに行く方が断然近い!ということで、ライレンピーの町中ではインドナンバーの車を見かけることがあります。この車で町で生産されたものを運んだ帰りに買い物をしてくるそうです。

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インドナンバーの車

日本は島国で、国境のイメージってなかなかわかないかと思いますが、こういうところに行くと、国境って地図上のものなんだなって思います。国境だけど、そこに境はない。

皆さん、是非一緒にライレンピーに行きましょう~!